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2007年03月 アーカイブ

2007年03月25日

久々に映画を観た

「それでも僕はやっていない」を観てきました。

以前は都内での痴漢数第2位と言われる中央線を使っていたため、痴漢冤罪の問題はある程度以上を意識を持たざるを得ませんでした。だって怖いし。満員電車に乗る時は常に両手を肩の高さより上にするように意識していたものです。

そんな経験もあり、今回周防監督がどのような視点でこの問題を映像化しているのか気になっていたのですが、内容はわかりやすい痴漢冤罪裁判のお話でした。それ以上でもそれ以下でもなし。推定有罪という危険性の認識を広めて世論の流れに一石を投じるものとしてはある程度機能するのだと思います。

そもそも痴漢の件数が圧倒的に多く(50%という統計もあるようで)、それに対して泣き寝入りする被害者が多数存在する状況を改善する運動が、結果として今の冤罪問題に繋がっているのではないかと思います。証拠がないために数多く行われている犯罪が見逃されてしまっていたからこそ、証拠がなくても犯人を捕らえられるように社会が整備されてきたのではないかと。

もしそうだとすると、痴漢冤罪に対する非難が高まった結果、痴漢が罰せられない社会になってしまうと元の木阿弥です。困った問題ですね。


いっそのこと、女性専用列車と男性専用列車を交互に運行してもらいたいものです。それならば鉄道会社もすぐにでも採用可能でしょうし、利用者も5分程度早起きすれば良い。
改めて思いましたが、何一つ非がない状況で確実に有罪とされてしまうのは明らかにおかしい。近代社会とは思えません。



さて、何らかの二つの主張があった場合に、一方が悪魔の証明を強いられるような場合であるにも関わらず対等の主張として処理される事例、つまり結論ありきでの議論や行動というのは、国家レベルでも意外に多いものなのだなと時々感じます。

痴漢が駅事務所に連れて行かれた時には有罪が確定しているようなものだし、大量破壊兵器云々の存在如何に関わらずイラクが攻撃される事は決定していたようですし。

危険思想とはその時の政府にとって危険である思想の事だ、と聞いて納得したことがあります。結局、声が大きいものがより正しい主張であり社会的に「正しい」ものだと見なされるのでしょう。増幅された世論は政治も経済も軍事をも動かすのだから「危険」「正しい」「おかしい」などと分類される思想や行動は世論が形作っていると言えます。周防監督がやっているのもそういうことなのかなと。作品としては面白みに欠けますが・・・。


世の中とは定められたルールに従って行動していくものだと思っていたのですが、世論が法理をも形成しているのだとしたら、様々な形で訴えられる主張の技巧の優劣が社会的な価値観に直結してしまいそうで怖いかも。今後、一般的に確定していない概念である著作権が、まさにその対象となりそうな感じがします。影響力のある作家や漫画家やbloggerが運動をおこすと法律すら創られてしまいそう。


・・・うーん面倒だ。
世の中とか法律とかというものは、世論とは一線を画して、もっと合理的であるべきなのではないかと思っている自分が幼稚なんですかねー。これもある意味危険か。

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